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就職に失敗したので、海外脱出し「職歴ロンダリング」 成功できる?

コラム公開日
履歴書、ひいては面接でその人の全てが分かるなら、どれだけ人事の苦労が減ることだろう。
はたまたどこかのゲームのごとく、「武力93、知力75、野望80」といった風に能力が数値化できるなら、一体どれほど多くの採用担当者が健やかな日々を送れることかーー。

むろん、そんな話は夢まぼろしであり、現実にはありえない。
面談を担う者は労力を費やし、長年の経験と己の勘を駆使して、目の前にいる人物が会社に有用な者であるかを判断しなければならない。
それでもしばしば見立てが外れ、とんでもない新人や中途を採ってしまうのは人事のサガだ。

そんな悲劇を避けるための手堅い方法が、前職時代の仕事ぶりを調べること、つまりリファレンスチェック。
きっとこれが今後の中途採用におけるカギとなるだろう、いや、もうなっているーーと自分も思うのだが、今回のお題はそのリファレンスチェックの段階にすら至れない人々の話である。

履歴書だけで人材の能力は推し量れないと言いつつも、普通の企業はたいがい書類選考で厳しい学歴、もしくは職歴の志望者をふるい落とすもの。
切られる側としては当然、そこから一発逆転を狙うにはどうするかを考える。

そこでひとつの活路と考えられがちなのが、海外脱出という選択肢だ。

確かに海外就職の面談ともなれば、日本企業のように「職歴の穴」など細かなところを突いてこないケースは往々にしてある。
ゆえに、今はコロナで低調とはいえ、国内で就職につまづいたのち、世界に飛び出す方はそう珍しくなかった。
何年も働いていない期間があったり、名前を見ただけで「察し」となってしまう企業名が書かれていたり……そんな己の職歴を、海外に行くことでひとまず問題ナシとしてしまう。

これは言うなれば、「職歴ロンダリング」。
日本でどうしても希望の仕事が見つからないなら、過去を「洗って」でも世界に飛び出すのは一見アリにも思えるが、ホントのところはどうなのか。

中国で働いている筆者の体験、そして自分が見てきた海外脱出組のエピソードを交えつつ、考察を加えてみたい。


(画像:筆者撮影)

海外就職は「退却」まで考えたキャリアプランが必須

さて、ただいま中国では日本人不足が深刻なレベルにある。
別に景気がよくて人が足りないわけではなく、対中感情の悪化、そしてコロナのせいでネイティブが呼びづらいという理由に尽きるのだが、中国在住の自分の元にはしばしば就職話が舞い込んでくる。

一応勤め人なので興味はないとはいえ必要条件を聞いてみると、たいがいは「同じ職歴で2年以上の経験者」というもので、その「2年以上」の中身については問われないケースが結構ある。
例えば、ある友人は日本語教師として現役で働いているのだけども、採用時に聞かれたのはやはり資格と経験。
ただしここで言う経験とは、やったことがあるという意味であり、過去にどんな先生だったかは重視されず、模擬授業をやらされて「はい、合格」となったとか。

この話、日本で就職に苦労している方からすれば眉唾に思われるかもしれないが、はっきり言って中国あるある。
何しろ筆者自身、もともと日本で長く出版業に携わり、行き詰まりを感じて中国に渡った挙げ句、全く同じ体験をしているクチだ。

日本で働いていた当時、主にゴシップに関わる媒体を作っていた自分は、報道の仕事がしたいと思ったのと、勤めていた会社で内乱が起きたのをきっかけに転職を考えた。
とは言え、いきなり新聞社の門など叩いたところで、相手にされないのが関の山。
面談くらいまではいくかもしれないが、どのような媒体を作っていたのですかと聞かれて、
「ええ、芸能人の不倫報道などに携わっておりまして」と言った瞬間、お帰りはあちらとなるのは確実である。

それでも報道の世界を目指すなら、どうすべきか。
「海外に活路を求めるしかなかろう」
これはあたかも、給料日で金が足りないから競艇で有り金を倍にしよう的な、一発逆転を狙ってドツボにはまる思考パターン。
にも関わらず、実行したら意外と上手くいってしまった。

何しろ前出の先生同様、経験はしつこく聞かれ、職歴証明を用意できるか何度も念を押されるのに、編集者としてどういう仕事をしてきたかという大事な点について、採用担当者は1ミリも関心を持たないのである。
自分の場合はかなり極端なケースとはいえ、おそらく海外で就職活動をしたことがある方なら、そこそこ似たような経験をしているのではあるまいか。

これは裏返して言えば、それだけ日本の採用面接はシビアであり、海外企業は比較的ザルということ。
だったら、日本で就職に苦労をしている人は、みんな世界に飛び出すしかないかというと、残念ながらそうとも言えない。

まず、筆者がいる中国の場合、キャリアに変な色がつく。
自分にとって日本で積んだ己の職歴は、グレーなものと思っていた。
前職はそこそこ有名な出版社とはいえ、金が全てという社風だったため、当時の自分は売れるものならとにかく何でも作ってきた(大して売れなかったが)。
中にはグラドルがどうしたこうしたといった世間体のよろしくない媒体もあり、国内同業種でのキャリアアップは間違いなく難しい。
そこで職歴ロンダリングをしたわけなのだが、今度は職歴が中国の色、つまり赤に染まってしまったのである。

ここから日本に戻り、普通に出版社で働くのは相当厳しいと言わざるを得ない。
かつて日本に一時帰国していた際、池袋の中華居酒屋でチャイニーズのスタッフと中国語で話していたら、酔っ払った中年男性に「工作員ですか?」とからかわれたことがあるが、自分としても今の日本国内の雰囲気だったらそのひと言、まあ出るよねと理解できる。

洗濯物は色移りしても何とかなるかもしれないが、職歴が変なカラーに染まったら、取り返しがつかないのだ。

また、日本以外で働くとなるとお手頃なのはアジア諸国だが、よほど名のしれた企業にでも潜り込まなければ、そこで積んだキャリアは日本でまず評価されず、英語や現地語を習得しましたとアピールしても相手には響かない。
上海→香港と10年以上海外で働く先輩に言わせれば、「海外就職はいつか帰国するつもりなら、よほどしっかりと戻る時のことをシミュレーションして勉強を続けないとダメ」。
行きは楽しく帰りは恐し、それが海外就職というものなのである。

海外就職に潜むリスクも考えて決断を

では、海外など行かない方がいいのかというと、それもまた違う。
中には日本で全く芽が出なかった者が、世界に出たとたん輝くケースもゼロではない。

自分が見てきた限り、退路を完全に断っている人は、割と上手くいくと感じている。
筆者が出版社に勤めていた頃、編集部のアルバイトに早稲田法学部卒で職歴皆無という異端のエリートがいた。

もともとカメラマン志望で夢を果たせず、親を平気で「あんた」呼ばわりするという曲がった性格も相まって、無職街道をまっしぐら。
それが突然、「日本で認められないなら海外に行くしかない」と言い出した。

普通、全くの職歴ゼロでは労働ビザが下りないケースも多いのだが、弊社でのアルバイト期間中、数年だけ契約社員の形を取っていたことが幸いし、そこは一応クリア。
そうして、とある海外就職の仲介業者に登録したところ、ベトナムから3社、ミャンマーからは1社が彼にオファーを送ってきた。


(画像:筆者撮影)

早稲田法学部卒という強めの学歴を持ちながら、この広い世界でたった4社。
真っ白な職歴の恐ろしさを他人事ながら改めて感じたものだが、彼はそのうち1社に採用され、人生で初めて乗る飛行機(国内線含む)でベトナムに飛び立っていった。

それから4年、彼は現地ベンチャーのマネージャー職になり、日本円にして歩合込み、というかほぼ全て歩合で月50万円を稼いでいる。
なお、給料はベトナムドンで支払われるようで、彼の貯金額は今や十数億ドン(ただし1ドン=0.005円)。

はからずも「億り人」となったわけだが、自分の分析では彼の特殊な性格がベトナムの気風に合ったのだと考えている。
中国以上にお金にシビアで、普通に暮らしているだけでモメ事や怒鳴り合いが絶えないかの国でも、人を食った性格の彼にとっては毎日誰かと「知的バトル」(本人談)ができる素敵な環境。
さらに、早稲田に受かるくらいだから地頭は悪くなく、日本に帰国するつもりがないため現地にさっと溶け込んで、見事異国で花を咲かせることができたようだ。

これを職歴にとらわれて彼の能力を見いだせなかった日本の落ち度と見るか、いい厄介払いができたと捉えるかは意見が分かれそうだが、彼にとって幸せな人生の転機となったのは確かである。

まとめると、海外で職歴ロンダリングからの就職は意外にハードルが低いものの、一歩間違うとまともなキャリア形成からドロップアウトしてしまう危険性をはらんでいる。
もともとキャリアなんてないという方、また日本を捨てる覚悟がある強者ならば、もはや何も言うことはない。

だが、面接が立て続けに数件駄目だったくらいの話なら、安易に海外を選ばず日本で職を探した方が合理的である。

結局、日本を飛び出すことで職歴はごまかせても、行った先で成功をつかめるかどうかはあなたの実力次第。
先走って決断する前に、自分の今までの仕事ぶりを「セルフリファレンスチェック」して、異国で通用するかどうか、しっかりと考えてみよう。

日本を捨てるのは、それからでも遅くはないはずだ。
御堂筋あかり

この記事を書いた人

御堂筋あかり

スポーツ新聞記者、出版社勤務を経て現在は中国にて編集・ライターおよび翻訳業を営む。趣味は中国の戦跡巡り。