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出世する人とできない人の違いはたった一つ それは「何様」にならないこと

コラム公開日
サラリーマンとは、放っておいてもそれなりに出世するものである。
……というのはかなり荒っぽい話だが、よほど問題がある方でない限り、普通に勤めていれば誰だって何かしらの地位には収まる。

「もはや年功序列は崩れた」「これからは実力本位の時代」と言われながらも、日本型の組織ではやはり年齢=経験とする傾向がまだまだ残る。
目立たないが真面目にコツコツ仕事をし、他の社員と軋轢を起こさない人材であるとして、小さな部署の長に任じられることは決して珍しくない。

何しろ筆者自身、「無難だから」というかなりどうでもいい評価により、部下を従えることになった経験を持つほどだ。
むろん、能力とハングリー精神を持ち合わせる方ならば、そのようなダウナーな理由ではなく正当な評価のもと、出世コースを歩んでいくことだろう。
いずれにせよ、多くのサラリーマンは歳を重ねるにつれ、大なり小なり肩書がついてくる。

その時、きっと大半の方は気づくはずである。
小さな組織内でのわずかな出世であったとしても、そこから見える光景は、ヒラの時とは違ったものになるということを。

きっとこれをお読みの有望な企業戦士の皆さまは、今後大いにキャリアアップを果たしていくはず。
そのような未来のある方々に対し、すでにサラリーマン人生を降りてしまった自分ではあるが、ぜひ伝えたいことがある。
それは、「あなたが出世した時、ぜひ忘れないで欲しいこと」。

といっても、己を磨き続けよとかトップに立つ者はどうこうといった偉そうなことを言うつもりは毛頭ない。
むしろ簡単、でも役職が上がるとつい忘れがちなことについて、自分の体験をベースに注意を促したい。


ポストが持つ力と己の実力を混同するべからず

椅子は古代、さまざまな文明で富と権力の象徴とされてきた。
メソポタミア、ヘレニズム、エジプトにメソアメリカと枚挙にいとまはないが、自分の見立てではここに日本の企業も入ってくる(文明でも何でもないけれども)。

現代における椅子とは、役職であり肩書。
職種によっては属人的な場合もあるとはいえ、たいがい権力はポジションに付随する。
そして、どれほど謙虚であろうとしても、人は無意識にその力を己のものと勘違いしてしまう。

自分は雑誌編集者時代、というか今でもだが、いわゆる財界人や著名人を取材することがある。
経験上間違いなく言えるのは、大物であるほど謙虚を通り越し、売れない若手芸人もびっくりの腰の低さを見せてくるということだ。

また、言ったことを無責任に取り消したりすることもなければ、プロフィール部分の肩書に何だかんだと注文をつけたりもしない。
そういう方にインタビューし、いやはや立派であることよと感じ入って会社に戻ると、待っているのはわが社に君臨するサル山の大将。
つまりオーナー社長であり、社員は全員自分を敬っていると勘違いしている惨めなお方なのだった。

もっとも、オーナーならば最後までお山の大将でいられるが、その下にいる中ボス、小ボスの人々は哀れである。
社内や取引先など、ごく狭い範囲でしか通用しないポストの力を振りかざしつつも、いざ辞めた時に自分が何者でもないことに気づかされるのだから。
これは極端なケースだが、そこまでいかなくても長く人を使う立場にいると、やはり無意識のうちに天狗の鼻が伸びてくる。
自分が今この瞬間、会社からドロップアウトした時に、果たしてどれだけの人が自分の価値を認めてくれるか。
風呂上がりにでも鏡の前で素っ裸になり、己を見つめながら考えてみればよい。
そして、自身を強く戒めよう。
椅子の力を、己の実力と勘違いしてはならない、と。


前任者の過ちを改めるのも出世の意義

ヒラ社員は上司の理不尽な命令や会社が発する謎の方針などに、大海に漂う木の葉のごとく翻弄される。
そうして荒波に揉まれているうちに、やがて出世をして人を使う立場となるわけだが、中には偉くなったとたん、かつての上司たちと同じふるまいをしてしまう者が少なくない。
今度は自分が下に押し付ける番が来た、というわけでもないだろうが、会社組織に染まった人ほどこのパターンに陥りがちである。

本来、出世とは自分が任された部署に新たな風を吹き込む絶好の機会。
平社員の時は「いまに見ておれ」(by青島幸男)とばかりに、自分が上に立ったら変えてやると思っていたはずが、いざその時になるといろいろなしがらみがあり、実行に移せない。

まあ会社って、そういうものだよね……と言ってしまえばそれまでなのだが、若い方にはぜひ諦めることなく、革新の心を持ち続けて欲しいと思うのだ。
変えるのは何も、大きなことでなくていい。
自分が平社員だった時、「頼むからやめて」と感じていたことのうち、自分の裁量で改められることだけでも構わない。

例えば、部下から書類を渡された時、「あとで見るわ」と言って寝かさない。
プライベートで嫌なことがあったからといって、その気分を職場に持ち込まない。
機嫌で仕事をしない、つまらない用事を部下に押し付けない、自分の間違いを人のせいにしないetc,

そんな改革とはとても呼べないどうでもいいことであっても、実現できればあなたが出世した意味はある。


出世しても「雑務力」を保ち続ける習慣を

これと関連してもうひとつ、ぜひ心に留めていただきたいのは「できることは自分でやる」という意識だ。

会社組織で出世するのは一般的に、部下を使うのがうまい人。
もっと直接的に言えば、いかに自分の手を動かさず、他者に仕事をやらせられるかが肝要ということになる。

それなりの地位に就いたら、誰にでもできる仕事は部下に振る。
至極当然のことと思えるが、これを長く続けていると実務がおろそかになるどころか、全くできなくなる人もいる。
それでずっと管理側に居座れればいいものの、何かの拍子で現場に戻されれば、「働かないおじさん」の一丁上がりとなる。

自分の前職時代、肩書上は会社役員でありながら、なぜか出社から退社まで延々とソリティアをやっている謎のお方がいた。
当時は席の前を通るたびに「プロゲーマーかな?」と思ったものだが、聞けばその人も昔はなかなかやり手の営業マンだったという。

それが現場を離れ、管理職に回って数十年。
実務が分からなくなり、いつしか管理する部下すらいなくなって、ソリティアが仕事となった。
つまりこういうおじさんは働かないのではなく、「働けない」のである。

そうならないための最もいい方法は、自分の経験で言えば、出世しても「誰でもできる仕事」を担い続けることだ。
これに対してよく返ってくる答えは、管理職だって大変なんだから、そんな時間はないというもの。
しかし、金融トレーダーとかならば話は別だが、雑務が一切できないほど忙しいことはないはずで、面倒を避ける言い訳と聞こえてしまう。

今の仕事で充分きついのだから、手離れできることはできるだけ投げたい気持ちも、よく分かる。
それでもやっておいた方がいいのは、「働かないおじさん化」防止のため。
筆者が携わってきた出版の事例を挙げれば、編集者として働きながらも自分の足でネタを探し、原稿も自書きするタイプの人は、辞めた後も何かしらつぶしが効いている。
逆に、誰かにお願いする仕事スタイルだった方は、死屍累々。
失った肩書だけを売りして採用面接に挑み、たいがいは収入がぐっと下がる別業種の仕事に落ち着くのがオチである。

事務方の人も同様で、極めて特殊な社風を誇るわが社の管理職としては経験豊富でも、それがよそで評価されるとは限らず、転職で苦労していた人が多かった。
結局、ある会社で身につけたスキルや人間関係は一見汎用性があるように思えて、実はその組織、もしくは業界の中でしか通用しないケースが往々にしてある。

ゆえに、世のサラリーマン諸兄はあたかも山男のごとく、自分のことは全て自分でやる気概を持ち続け、「実務力」、いや「雑務力」を衰えさせないことが肝心なのである。
その一線さえ守っていれば、たとえ古巣を離れて新たな職場で再スタートを切ることになったとしても、順応は比較的たやすいはず。

また、会社勤めをしていれば、出世の機会だけでなく降格の憂き目に遭うこともある。
そんな時、平社員だった頃の気持ちを少しでも心に留めていれば、きっと苦難を乗り越えられる。

そう強く信じ、世知辛いサラリーマン人生を謳歌しよう。
君、何様になるなかれーー。
御堂筋あかり

この記事を書いた人

御堂筋あかり

スポーツ新聞記者、出版社勤務を経て現在は中国にて編集・ライターおよび翻訳業を営む。趣味は中国の戦跡巡り。