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リファレンスチェック普及のために高めたい! みんなの「人物レビュー力」

コラム公開日
中途採用の際、人事の方が一番恐れるのは「地雷」を引いてしまうことではあるまいか。
履歴書を見た限りは優秀で、面接の受け答えも及第点。
ところが入社して即、とんでもない事故人材と判明するーー。

そういった悲劇を避ける上で極めて有効なのが、リファレンスチェックである。
何しろ、雇おうとしている人材がトラブルメーカーかどうかということなど、以前の同僚や上司に聞けば一発で丸分かり。

「ホワイトボードはいつも『直行→直帰』、社内でほとんど見かけなかったので仕事ぶりは分かりません」
「いつも急病で早退していたけれど、MBAを取るためにビジネススクールに通っているというもっぱらの話でした」

どれほど輝かしい経歴の人材だろうと、上記のような評価を受けていた者を積極的に採りたい会社は、まずあるまい。
つまるところ、第三者を通じた転職希望者の過去照会は、ハズレ人材を回避する上で間違いなく役に立つものと言える。
ただ、リファレンスチェックの意義とは「地雷探知機」にとどまるものではなく、雇用側と求職者の適切なマッチングなど多岐にわたる。

そこで必要となってくるのは、社会人としてダメかどうかといった荒っぽい評価ではなく、かつての上司や同僚からの客観的かつ的を射たレビューである。
つまり、今後ますます雇用市場に広まっていくリファレンスチェックの有効性を高めるには、われわれひとりひとりが人を見る目を養うべきということだ。

とは言っても、グルメやブックレビューと違い、人を評価するのはそう簡単なことではない。
そこで語りたいのが、人材評価に関する筆者の持論。
一応先に言っておくと、「論」と言っても決してややこしいものではない。
むしろ、最低限ここだけはチェックしておくべきという、人材レビューきほんの「き」に過ぎない。

本来、筆者とて大した仕事をしてきたわけではなく、昔の同僚から星ひとつを付けられていてもおかしくない身。
それでも異論噴出を覚悟の上で、自分の考えを披歴したい。


過ちを認められる者は成長できる

かつて出版社に勤めていた頃、雑誌の企画で吉幾三にインタビューしたことがある。
タレントにはさまざまなタイプがいるが、自分が感じた限りだと、このお方はテレビに映るイメージと実物が寸分違わない、裏表なき本物のスター。
全く演歌を聴かない自分、そして他のスタッフを含め、飾らない人柄に心底魅了されまくった。

さて、その時にたまたまお孫さんの話になり、「家ではどんなおじいちゃんなんですか」と聞いたところ、返ってきた答えが素朴だけれど深みがあり、今でも記憶に残っている。

「ありがとうと、ごめんなさいをちゃんと言える人になりなさい。
そうしたらじいじは、他に何も言わないよって。
孫にはこれしか言ってないんだよ」

この吉幾三の言葉、実は人を見る上で大事なポイントを突いている。
すでに言いたいことを察している方もおられるだろうが、「ありがとうと、ごめんなさい」、このふた言すらマトモに言えない大人は、世の中に掃いて捨てるほど存在する。
正確には、大方の人はお礼くらいは言えるものの謝れず、このタイプの人間は成長が遅いか、もしくは全く成長しない。

「子曰く、過ちて改めざる、これを過ちという」とは『論語』の言葉だが、これを現代風に超訳すれば、「仕事でミスが生じるのは当然のことで、さして問題視すべきでないが、そのミスを改められないのは大きな過ちである」ということだ。
間違いを認められる者は、そこから学び、前へと進める。
仕事を覚えるのが遅かったり、能力的にパッとしない者でも、頑としてミスを認めず強情を張る輩よりは、長い目で見れば絶対伸びる。

「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」
もう頭を下げてナンボの時代ではないという意見もあろうが、謙虚さと自省の心を持っているかどうかは、人を見る上で大事な点であることに変わりはないと自分は考えている。


礼儀とは決して形式だけのものではない

同じく、人物レビューをする上で欠かせない基礎部分に、礼儀がある。
「それってまさに時代錯誤、会社で『挨拶は必ずするように』とか言うタイプですか?」なんていうツッコミが来るのを覚悟で言うと、「礼」とは決しておろそかにできないものと自分は思う。

これまた『論語』からの引用になるのだが、「礼の用は和を貴しとなす」。
そのままだとややこしいのでサラリーマンに当てはめ、さらに筆者の解釈を加えると以下のようになる。

礼儀正しさとは、単に社内の秩序を保つだけではなく、組織全体で「和」を生むためのもの。
ここで言う「和」とは、波風を立てないという日本的な意味よりは、社員同士、はたまた上司と部下が自由闊達に意見を言いながらも、なおかつ調和が取れている状態を指す。

むろん、いくら仕事上のこととはいえ、同僚や上司に対してストレートに物申せば角が立つ。
そこで、己の意見を伝える時には最大限礼を尽くし、丁寧な言葉遣いと相手を尊重する姿勢を持つ必要がある。
そうして自分の意見はイチャモンでも個人攻撃でもないことを相手に理解してもらうべしーーこう考えると、礼儀とは決して馬鹿にできないものと分かる。

ちなみに、人を見る上で礼儀正しいかどうかは注目点ではあるものの、それだけでは単なるマトモな方(十分立派だとは思うが)。
その上で、相手へのリスペクトを持ちつつ自分の意見を言い、時には先方にとって耳の痛い話でも怒らせずに伝えられる人ならば、ポイント高し。
なおかつ、目上だろうが目下だろうが分け隔てなく礼儀を忘れないときたら、これはもう星五つというのが自分の考えである。

ちなみに最後の点は結構大事で、自分にとって何かしら利害関係が絡む人には礼を尽くすが、どうでもいい人間には口調が変わる人というのは、世間にそこそこいるものだ。
礼儀とは、時と所、場合によって使い分けるものではなく、自然な振る舞いの中に現れてこそ本物である。

経験から言うと、実務に少々問題があっても、礼儀の意味を理解している人なら、とりあえず会社の名前を背負って外に出すことは可能。
逆に、礼の道理を分からない者は、いくら見るべき点があっても、自分だったら怖くて外回りなんて任せられない。
人事考査に「礼儀正しさ」などという項目はないのが普通とはいえ、評価ポイントとしては大事だと思うのだが、皆さまはいかがお感じだろうか。


モンスター社員を掴んでしまわないために

さて、ここまで書いておいて何だが、謝れない人も礼儀を知らない人も、仕事で全く使えないかというと必ずしもそうとは限らない。
採用してプラスではないとはいえ、「まああの人は……」と腫れ物扱いになる程度の話で、組織を破壊するほどのパワーはない。

むしろ自分の考えだと、これだけは避けたいというタイプは別にいる。
人物レビューで心を鬼にして、次の職場の人たちが同じ思いをしないように激辛コメントを書かざるを得ない要注意人材ーーそれは、
「できることとやりたいことに大きなギャップがある者」と、
「人に言うだけ言っておいて自分は実行しない者」。

どちらか一方を満たしているだけでも、採用すればモンスター化の可能性大。
さらに両方兼ね備えていれば、ラスボス級の問題社員となること間違いなしである。

まず、本人の能力と希望のポジションがかけ離れている人とは、本来は一兵卒がふさわしいのに、頭の中では自分を大軍師か何かと思っている、自意識過剰系。
誰でもできる仕事を任せると、なんで僕がこんなことをやらなければいけないんですかと言ってくるが、たいがいその「誰でもできる仕事」すらマトモにこなせない。

まして人の上に立つなど問題外にも関わらず、本人としては「自分の能力を生かそうとしないのが悪い」となり、下手すれば会社に憎悪すら抱き始めるのがお定まりのパターンだ。

また、他人にああしろこうしろと言いつつも自分自身は例外という、いわばダブルスタンダードの方は、ヒラ社員だろうが管理職だろうがどこに置いても弊害を撒き散らす。
自分がルールなので協調性は期待できず、たいがいは真面目に頑張っている社員にまで悪い影響を及ぼす。
採ったが最後、仕事はできるだけ振らず、お給料は笹舟にして川に流していると思って諦めるより他になしといったところである。

ちなみに恐ろしいことに、これらのタイプに限って面接ではやたらとスケールの大きい話をする。
そのため、人事担当者が見誤ると、しっかりしたビジョンを持っているなどといってうっかり採用してしまう。

また、彼らはえてして一見優秀そうな雰囲気を醸し出すのが上手いため、一朝一夕には本質を見抜けない。
結局、このようなジョーカーを掴みたくなければ、頼れるのはリファレンスチェック。
過去一緒に仕事をしてきた人の意見ほど、確かなものは存在しない。

そして、ここで忘れてはならないのは、われわれ自身もまた人物レビューの対象であるということだ。
人を見る目を磨きつつ、己もまた誰かから常に見られていることを肝に命じて、日々の仕事に打ち込もう。
お天道様がうっかり見逃したとしても、上司や同僚たちは頑張るあなたの姿を、きっと眼に焼き付けているはず。

ひいてはそれが高レビューにつながり、次の転職で生きてくるーーそんな時代がもう、目の前まで来ている。
御堂筋あかり

この記事を書いた人

御堂筋あかり

スポーツ新聞記者、出版社勤務を経て現在は中国にて編集・ライターおよび翻訳業を営む。趣味は中国の戦跡巡り。